NOWHERE NOWHERE のビハインドストーリー。
第一弾の今回は調香師に、調香の背景を聞きました。
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わたしらしい香り、とは。
「香り」は、いつ、どこで、何のために、誰のために在るべきなのか。
フレグランスと言うと、着飾るためのものだと思っていました。
服の上から纏う、コーディネートの仕上げ。
部屋の空気を入れ替えた後、新品のディフューザーを開けたその瞬間。
…きっとその時、「誰にどう見られたいか」が頭の中の何割かを占めていると思います。
その時の主役は、私でありながら、私でないような気がしていました。
香りを共有したい相手がいてこその香りというか、「わたし」を自分本位に表現できていないような感覚です。
"装飾品”としてのフレグランスは、自己主張の大事なツールの1つで、その歴史はここでは語り尽くせないほど奥深いものです。
もちろん、その文化や、広く知られた数多の名フレグランスを否定するつもりも甚だありませんし、斯くいう私も「パフォーマンス」「体裁」のためのフレグランスを愛用する一人です。
そんな私が、クリエイターとして、フレグランスに触れる機会に巡り合います。
普遍的な「いい香り」を生み出すことが幾分容易に思えるほど、 NOWHERE NOWHEREの香りを生み出す作業においては、多くの葛藤や迷いとぶつかりました。
香りを通して自己表現を叶え、それをアートと捉える。
我々が掲げる壮大で漠然としたブランドテーマを前に、呆然と立ち尽くしました。そんなフレグランスが果たして出来上がるのか、と。
“自分を飾る”フレグランスを創る
「自己表現」と聞くと、どうしてか明るくポジティブなフリをしている印象を抱くのは私だけでしょうか。
きっと現代社会において「いかに自身の存在意義の主張をするか」「どれだけ"良く"思ってもらえるか」…そんな思いや企みがこの言葉に含まれるようになっているから。
ところで、広く知られた話だと思いますが、「香り」と「記憶」というのは無意識領域で結び付けられていると聞きます。
「人混みの中、あの人の香水と同じ香りがした」というのは、まさにその最たるシチュエーションで、私にとっては欠伸が出るドラマのワンシーンの1つでもあります。
香りにより「記憶」が呼び起こされることは、私自身も幾度となく経験があります。
もちろん、楽しい記憶や明るい思い出が蘇ることがほどんどですが、時には思い出したくないことまで否応なしに引き摺り出されてしまい、不愉快に感じることも。
そんなことを思い返しているときに、「記憶」のあとを「感情」が追いかけていることに気づきました。
辿り着いた答えと表現したいもの
香りによって呼び起こされる記憶が様々な感情と繋がっている。
そのひとつひとつの感情に向き合うことで、初めて自分自身と向き合い、「わたしらしさ」を表現することができる。
これに気付いたときに、喉に突っ掛かっていた何かがすーっと消えるように、それまでの苦節が嘘のように晴れていき、香りを通じた自己表現を実現するためには、感情を引き出す香りでなくてはならないと確信にたどりつきました。
香りに呼び起こされる感情、気付かされる想い、引き出される本能。
昔を懐かしみ愛おしむゆるやかに流れる時間も、根拠のない焦りを感じる今、はたまた未来への渇望も、大事な感情です。
感情は前向きで温かいものだけではないですし、明るいかと思いきや、時には闇に飲まれたかのように暗い感情も「わたし」だと向き合うべきだ、と思います。
温かい陽だまりに包まれているような優しい気持ちも、重く苦しい泥がまとわりついたかのような思いも。
生きる上で直面する多くの感情に向き合い見つめ合い、受け止めるきっかけを「香り」に託してみようと思いました。
そうした時に香りは誰かのためのものではなく、自分のためにようやくベクトルが向くと思います。
「わたし」を彩る、わたしらしい香り。
わたしらしい香りとは、私の感情を揺さぶり、私を見つめるためにあってほしい…と、 NOWHERE NOWHEREの香りには、そんな期待と希望を込めています。